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田中隼磨 青山 ビンタ 「3」を背負った田中隼磨の「覚悟」 [サッカー]

「3」を背負った田中隼磨の「覚悟」…そして明かされるJ1昇格の「代償」

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http://image.search.yahoo.co.jp/引用


 試合終了のホイッスルが鳴り響いた直後、田中隼磨選手はユニフォームを脱ぎすて、
「3 松田直樹」「ありがとう」と書かれた白いアンダーシャツ姿でひざまずいて両手で顔を覆った。
そして天国で見守ってくれているであろう盟友『松田直樹』にJ1昇格の報告しいたのでは

雨が降りしきる中、寒空の中Tシャツになり、汗か、雨か、涙かわからないが、
顔はずぶぬれの状態でファンへの元え駆けつける。

 2011年に松本山雅FCへ加入し、同年8月に練習中の急性心筋梗塞で他界した松田直樹さん。
その遺志を受け継いだ松本山雅FCが、14年11月1日のJ2第39節でアビスパ福岡を破り、
来シーズンからのJ1昇格内定を手にした。

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http://image.search.yahoo.co.jp/より引用

 試合当日、田中は松田さんの姉・真紀さんに電話をし
「博多の街はマツさんが生まれ育った場所」だと聞かされた。

そして「きっと天国から、自分が生まれ育った場所でのJ1昇格を見守って頂けたと強く思います」
と亡きチームメート『偉大な先輩』の笑顔に思いを馳せた。

 J1昇格の歓喜に湧く松本山雅。
だが、その舞台裏には大きな使命を背負って緑色のユニフォームに袖を通した男の強い覚悟があった。

 横浜F・マリノスや、名古屋グランパスで、リーグ優勝を含む数々のタイトルを獲得してきた。
田中選手が、昨シーズン限りで、名古屋グランパスを契約満了になった際に、新たに選んだ新天地が、
故郷でもある松本だった。

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http://image.search.yahoo.co.jp/より引用

 他クラブから好条件のオファーがある中で松本山雅を選んだ理由。

それはかつて横浜Fマリノスでチームメートだった松田直樹選手が志半ばで諦めざるを得なかった
J1昇格の夢を叶えるため、そして“サッカー不毛の地”とも称された故郷に誕生した
プロサッカークラブをJ1の舞台に引き上げるため。

自らのサッカー人生を懸けて地元に凱旋し、松田直樹選手が着けていた「3」を背負うことを決意した。

最初は俺が3番を着けることに賛否両論あったけど、マツさんのお母さんやお姉さんにも相談したら、
すごく後押ししてくれた。そういう言葉にも負けたくなかったし、いろいろな思いを背負ってやってきて、ここまでいろいろな戦いがあった。だから何としてもJ1昇格を実現したかった」

「環境も条件も良くないけれど、自分が求めているのはそこじゃない。
『J1に昇格させる』と言って松本に帰って来たし、マツさんもJ1で戦いたかったはず。

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http://image.search.yahoo.co.jp/より引用

 田中選手にとっては、まさに“悲願”とも言える目標がわずか1年で達成。
だが、その代償はあまりに大きかった。

昇格決定後の記者会見中、反町康治監督は突然こう切り出した。

「残念ながら隼磨は明日からサッカーをすることができない」

 今年5月24日に行われたJ2第15節ジュビロ磐田戦で、田中は右ひざ半月板を損傷していた。

本来ならば即手術で全治約3カ月という重傷。

治療のためチームを離脱することも検討したが、ここで彼は「昇格が決まるまで試合に出続けたい」
という決意を固める。

直後に対処していれば夏頃に復帰できた可能性もあった。

だが、ドクターやチームスタッフと相談しながら「自宅の階段を上り降りするのも辛い」
と語るほどの状態でプレーを続け、何度も病院で右ひざにたまった水を抜き、
無数の痛み止め注射を打ち、

けがが悪化することを覚悟の上でピッチに立ち続けた。

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http://image.search.yahoo.co.jp/より引用

 練習から常に全力で取り組み続けるプロフェッショナルな姿勢が、
昨シーズン最終節で得失点差でプレーオフ進出を逃した松本山雅に与えた影響は大きかった。

チームメートの喜山康平が「隼磨くんの加入が一番大きかったかもしれない」
と話すように、田中は嫌われ者になることを決して恐れず、
必要だと思ったことを口うるさく言い続けた。

背中で、言葉で、チームをけん引する彼の胸中には
「このまま成長していけば、絶対にJ1に昇格できるという手応えがあった」という。

だからこそ、無理を押してでもチームを離れるわけにはいかなかった。

「反町監督には、自分のパフォーマンスが悪かったらメンバーから外してもらうように話していた。

周りにも気づかれないようにしてきたし、あのタイミングでチームを抜けることはできなかった。
悪いのはけがをしてしまった自分だし、言い訳はできない。
右ひざの半月板損傷はマツさんの古傷だったし、マツさんに試されているんだと思った。

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http://image.search.yahoo.co.jp/より引用

『なんでこんないたずらするんだ』とも思ったよ。

センタリングはごまかしながら上げていたけど、
シュートは打てないんだ。本当はそれじゃダメなんだけど、
『これ以上やったら本当に壊れる』って本能が打たせなかったんだと思う。

サッカー人生を懸けて戦ってきた。残念だけど、俺はもう戦えない。

限界なんだ。ボロボロなんだよ。でも、後悔はない。

マツさんと同じ志を持った選手と一緒にプレーできて、本当に心強かった。

最高のチームメート、最高のファン・サポーターに心から感謝している。

 彼の思いをそこまで駆り立てたものは、いったい何だったのだろうか。

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http://image.search.yahoo.co.jp/より引用

「それは俺にしか分からないと思うよ。松本出身で、マツさんの遺志を受け継いだチームを
J1昇格させることにサッカー人生を懸けていた。
だから自分のひざじゃなく、チームを昇格させるための判断。
あとは自分との勝負だった」


 試練を乗り越え、自分との勝負に勝って結果を出した。
だが、負傷箇所に関してはセカンドオピニオンも含めてドクターの見解が分かれており、
現時点で全治は不明だという。
「復帰はいつになるか分からないけれど、ここから暫くは自分のサッカー人生を優先させてください」
と静かに語った。


 悲願達成から2日後、田中はオフを利用して松本山雅の大月弘士社長と一緒に、
松田直樹選手の墓前にJ1昇格を報告に行く予定にしている。


「マツさんが目標にしていた松本山雅のJ1への道を自分たちが切り拓いたっていう報告をしたい。
あとは背番号についても話したいし、けがの話はちゃんと文句を言うよ。
ふざけんなよって(笑)。
でも、本当の勝負はこれから。

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http://image.search.yahoo.co.jp/より引用

目標を達成できたことはうれしいけど、これで満足していたらマツさんに
『こんなことで満足するなよ』って言われるだろうし、
これからもマツさんとともに戦っていきたい。

これからのストーリーも描けている。
何とかしてここまで来たけれど、落ちるのはあっという間。
でも、俺はJ1での勝ち方を知っているし、ただ昇格して盛り上がるだけではダメ。

ここからが大切だし、来シーズンの開幕に間に合うかどうかは別にして、
自分の持っている経験をしっかりと伝えていきたい」

 自らを犠牲にしながら、大きな使命を果たした田中隼磨。
昇格決定直後、ピッチ上で顔を覆いながら「マツさんに報告していた」と語る彼に、
「何と話し掛けたんですか?」と聞いた答えが冒頭のコメントだった。

その瞬間を思い出し、ここまでのいろいろな思いや戦いが脳裏をよぎったのだろう。
目線を上げ、言葉をやや詰まらせながら、少しだけ目を赤くした彼の表情が忘れられない。

 故郷に錦は飾った。盟友の遺志もしっかりと形にした。だが、これからも戦いは続いていく。しかるべき復活の時へ──。田中隼磨がしばしの休息を経て、新たなストーリーを歩み出す。
http://www.soccer-king.jp/より引用

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http://image.search.yahoo.co.jp/より引用


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